この記事は『エロい本棚アドベントカレンダー2022』の1日目です。

私たちは物語のなかを生きている

人類は真空の中を生きることはできない。必ずそこをまず物語で埋め、おぼろげな因果の光で線を引かなければ、前に進むことは愚か振り返ることすらできない。自ら作り出した物語を見つめることで、不安から目をそむけなければならないのだ。そういう意味で人類は、物語のなかを生きている。

ここでの物語とはこのようなものだ。善行を積めば良いことが返ってくる。努力をすれば報われる。自分は特別な存在であり、窮地に陥ることは絶対にない。いつか私は死ぬが、それは明日ではない。

しかしこれらには根拠がない。当然ながらあなたも私も明日死ぬかもしれない。不安から目を背けることはできても、現実は変わらずそこに横たわり、私たちを虎視眈々と狙っている。

人はなぜ物語を求めるのか

篝火に照らされて

太古の時代、人々は物語を口伝や壁画を物語の拠り所にした。隣人の命を刈り取っていく自然を人格化し物語に組み込むことで、暗闇のなかにあるものを篝火のもとに照らし出そうとした。そしてそれらを、口伝や壁画の形で伝えた。

このようにして物語を伝える風習は古代より始まり、ピラミッド・古墳など、様々な形で現在に至る。文字を用いた記録はシュメール人行商人の使っていたトークンとブッラに始まり、粘土板、石版、パピルス、蝋板、木簡、巻物、羊皮紙を経て、そしてついに、人類は本を、そしてそれを納めておく本棚をも生み出した。

文字の歴史

豆電球に照らされて

本棚の発明によって、人類は多量の本だけでなく、再び絵画や壁画の機能をも手にすることができるようになった。様々に彩られた書籍の背表紙は描かれた線であり、そこに書かれた題字や帯の文言は物語の大筋を示す。ひと目で本棚に納められている物語を参照することができるようになっている。しかも絵画や壁画とは違い、気軽に入れ替えてしまうこともできる。

人は本棚を使って自分の人生を照らし出す物語を集めている。そして人生が刻一刻と変化するように、本棚もまた変化していく。

筆者は小学校4年のころに自分の部屋を持った。狭い部屋ではあったものの、親の背の高い本棚も置かれていて、そこに自分の本も混ぜて置いていた。床に布団を敷いて仰向けに寝転ぶと、視界の右側は本たちが立ち並んだ。彼らは豆電球に照らされ、その内に書かれた内容を背表紙に映し出していた。不思議と安心して眠ることができたことを記憶している。

物語無き時代を生きるよすがとして

物語を生きる私たちはしかしながら現在、窮地に立たされてもいる。世界は混迷さを増し、秩序はゆらぎ、10年後の未来を明るいものとして描くことが少しずつ難しくなってきている。私たちは物語を失いつつあるのだ。我々の傍らで眠っていた不安が、再び首をもたげているのを感じずにはおれない。

そして昨今は家に本棚を持たない人が増えたという。人々に不安が蔓延し始めていることと、家庭からの本棚の消失は決して無関係ではないだろう。かつて人類が洞窟のなかで不安な夜を過ごし、そのそばには物語があったように、私たちにはもう一度物語が、そのなかで生き抜くための本棚が必要なときが再び巡ってきているのではないだろうか。

キミの本棚はエロければエロいほうがいい

あれ、なんか空気変わったな。まあいいか。そういう不安に寄り添う本棚って、つまり所有者の不安を映し出す鏡のような役割を持っていると思うんだ。不安って思わず隠そうとしたり、むしろ堂々と見せつけたりしたくなるよね。ほら、そう考えると本棚って、なんだかエロい。

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